義祖父の農地。自分の夢。
ブルーベリーとの出会い。
京都で生まれ育った私は、長年東京で広告デザインの仕事をしていました。
茨城県つくば市は、妻の実家です。
妻の実家は、祖父が先頭に立ってつくば市で芝を中心とした農家を営んできましたが、近年は十分に収益を上げられなくなっていました。さらに、後継者はおらず、農地を将来的にどうするかも見通せない。
そこで、孫娘の夫である私がいつかその農地で何かできないだろうかと考えたのが、農業に興味を持つきっかけとなりました。
その頃の私はというと、30代も半ばを過ぎ、限られた自分の人生をどう生きていくかについて悩んでいました。
「人から依頼を受けたものを制作するデザイナーも素晴らしいけれど、その枠を超えて自分自身で何かをゼロから築きたい。それを世の中に発信して生きていきたい!」という夢が、年々ふくらんでいた時期でもあったのです。
そんな折、私の故郷である京都の知人から、「ブルーベリーの観光農園」の新規立ち上げに広報として携わってほしいと依頼があり、私は驚きました。生まれて初めて、夢かと思って頬をつねりました。痛かった。
まさに興味を持ち始めていた「農業」であり、「自分自身で何かをゼロから築き、発信する」を実践できる。しかもなんと、つくば市が日本有数の特産地である「ブルーベリー」について実践経験を積みながら学べるチャンスが、いきなり訪れたのです。
2016年、運命に導かれるように、私は妻とともに東京から京都へ引っ越しました。
甘くて大きくてジューシー、この感動を伝えたい。
京都に移住してからは、東京での広告デザインの仕事はそのままリモートで続けつつ、ブルーベリー栽培と農園の立ち上げを学びながら実践するという濃厚な日々が始まりました。
そこで私が学んだブルーベリーの栽培方法は、品種別にph値や肥料量を適正管理し、そのうえ個体別に独立のポットで疫病管理をするという新しい方法でした。
それは最初、従来の地植えに比べてただ機械的な印象を持ちましたが、実際のところは、目の前のブルーベリーひと苗ひと苗の性質と状態を把握し、それぞれに適応したお世話を続けていくことで本来の美味しさを存分に引き出す、人間味あふれる栽培方法であると感じたのです。
ようやくそのブルーベリーを食べたのは、3年目になってからのことでした。その時の感動を私は忘れることができません。
「なんて甘くて大きくてジューシーなんだ・・・。」
それは、頭の中でイメージしていたブルーベリーとはまったく別物でした。
「この感動をいろんな人に味わってもらいたい!」そう強く思った私は、開園に向けて栽培にも全力で携わりながら、一層心を込めて広報業務に取り組みました。
京都で農園立ち上げを成功させ、いざつくば市へ。
ウェブサイトからブログ、SNSなどを連動させ、さらには飲食店も併設しながら展開し、オープン時にはテレビや雑誌の取材に多数来ていただくことができました。
農園はその後も、来場の予約が取れないときがあるほどの賑わいとなり、家族で休日に楽しめるスポットとして認知されていきました。
この経験の中で学んだのは、農業ではおいしい作物をつくることが第一ながら、それと同じくらい、ブランドづくりやデザイン、それらを融合させた情報発信力が重要だということです。
それらが販路の開拓につながり、先の見えない時代における経営力につながっていくと考えました。
京都のブルーベリー農園で3年間、栽培と広報の濃厚な経験を積み、いよいよ、妻の実家の農地があるつくば市で、自分のブルーベリー農園を立ち上げることを目指し始めたのです。
国の支援をいただき、ブルーベリー農家として出発。
農園の立ち上げにはかなりの資金が必要です。
そこで、私は農林水産省が実施している「青年等就農計画制度」を利用して支援を受けるため、つくば市と相談しながら計画書類等の作成を始め、2019年10月に家族でつくば市に移住しました。
支援を受けるための条件はさまざまあり、市役所の担当者と一緒に何度も計画書を修正しながら、2020年2月ついに「認定新規就農者」に。
その後、新型コロナウイルス感染症の蔓延等もありスケジュールは変更を余儀なくされましたが、いくつかの手続きを経て、「認定新規就農者」限定の融資制度を受けられました。
そして、井戸、森林伐採、整地、電気、ネット等のさまざまな工事や準備を進め、2020年12月に農園を完成することができました。
こうして私は、40歳にして新人ブルーベリー農家として出発したのです。
ある人との出会い、そして新しい野望に向かって。
観光農園を営む中で芽生えたのは、「農業を通して地域を盛り上げたい」という強い願いでした。単に農作物をつくるだけでなく、私の武器であるデザインの力で農業に新たな価値を宿したい。クリエイティブの力でコミュニティを可視化し、つくばを魅力的な観光地として再構築することで、地域全体をみんなの手で活性化していく――。そんな大きな野望が、私の中で膨らんでいきました。
その原動力となったのは、2021年の近藤直也さんとの出会いです。元プロサッカー選手として「故郷に恩返しをしたい」と願う彼と意気投合し、すぐに「ワニナルプロジェクト」を始動。農家を主役にする「ワニナルフェス」やフリーペーパーの発刊を通じ、異業種の力を農業と掛け合わせることで、地域がかがやく「輪」を広げてきました。
「ワニナル輪」を市政に。10年前の誓いを果たす挑戦。
実は、初めてつくばの地を訪れた10年前、私はある密かな目標を抱いていました。もともと地方都市のまちづくりに深い関心があった私は、このマチの可能性に触れた瞬間、「10年後には、この地で行政の一員としてまちづくりに関わろう」と心に決めていたのです。
その約束の年となった2024年10月、私は市議会議員選挙への出馬を決意しました。
選挙戦では、名前を連呼する手法ではなく、つくばでの5年間で積み上げてきた活動とデザインの力を信じ、SNSや映像で想いを届ける自分らしいスタイルを貫きました。結果として3,100票もの重みある民意をいただき、市政の壇上に立つ機会を得ることができました。
クリエイティブな視点で、つくばの未来をデザインする。
議員となった今、私が取り組んでいるのは「目に見えない仕組みのデザイン」です。現場での活動で培った「ワニナル輪」をさらに広げ、行政と市民の距離を縮め、誰もがまちづくりにワクワクできるようなコミュニケーションの形を再構築すること。それが、クリエイターである私に課せられた使命だと考えています。
農業の現場で学んだ「土着の力」と、デザインで培った「編集の力」を融合させ、つくば市をより面白く、誇れるマチへと進化させていきます。これからも市民の皆様と共に、新しいつくばの未来を創り続けてまいります。
皆様、どうぞよろしくお願いいたします。





